私たちの体がバラバラにならない理由:波動と粒子の二重性がもたらす原子の安定性
私たちの体がバラバラにならない不思議
私たちの体も、机や椅子といった身の回りのものも、すべては原子からできています。原子は、中心にある原子核の周りを電子が回っていると考えられています。では、なぜ電子は原子核に引き寄せられてぶつかってしまわないのでしょうか? また、なぜ原子同士は一定の距離を保って、物質として安定した形を保っているのでしょうか?
古典物理学の考え方では、電荷を持った電子が原子核の周りを回ると、エネルギーを失って最終的には原子核に落ち込んでしまうはずです。もしそうなら、原子はすぐに崩壊し、物質は安定して存在できません。しかし、現実にはそのようなことは起こりません。私たちの体も、数百万年も形を保ち続けている岩石も、安定して存在しています。この安定性の秘密こそ、量子力学が明らかにした「波動と粒子の二重性」が握っているのです。
電子も波として振る舞う:物質波の考え方
量子力学の世界では、電子のような非常に小さな粒子は、ただの点として存在するだけでなく、波としても振る舞うという不思議な性質を持っています。これを「物質波」と呼びます。つまり、原子核の周りを回っている電子は、単なる粒子の軌道を描いているのではなく、ある種の「波」として存在していると考えることができるのです。
では、電子が波として存在すると、原子の安定性にどう関係するのでしょうか。ここで重要になるのが、「定常波」という概念です。
定常波が生み出す「許された場所」
定常波とは、波が進むのではなく、その場で振動しているように見える波のことです。例えば、ギターの弦を弾いたときにできる波や、お風呂の湯船で指を揺らしたときにできる特定の模様の波などが定常波の仲間です。定常波ができるためには、いくつかの条件が必要です。ギターの弦なら、両端が固定されているという条件の下で、特定の長さの波しか安定して存在できません。弦の長さの1倍、2倍、3倍…といった整数倍の長さの波だけが定常波として安定して存在するのです。
原子核の周りを回る電子も、この定常波と似た振る舞いをします。電子の波は、原子核の周りの空間に広がっていますが、闇雲に広がるのではなく、特定の「定常波」のパターンとしてしか安定して存在できないのです。これは、原子核の引力や、電子が原子核の周りの空間に閉じ込められているといった条件から生まれます。
まるで、原子核という「中心」の周りで、電子の波が特定の振動パターン(定常波)を作っているようなイメージです。そして、この定常波として存在するためには、電子の波は特定の波長を持たなければなりません。
安定したエネルギー準位:落ち込まない理由
物質波において、波長は粒子の運動量(速さや向きに関係する量)と結びついています。そして、運動量はその粒子の持つエネルギーにも関係しています。定常波として存在できる波長が決まっているということは、電子が原子核の周りで持つことができるエネルギーも、とびとびの値(特定の決まった値)に限られていることを意味します。これを「エネルギー準位」と呼びます。
電子は、これらの「許されたエネルギー準位」にのみ存在できます。古典物理学のように、どんなエネルギー状態も自由に取れるわけではありません。最もエネルギーの低い安定した状態(基底状態と呼ばれます)が存在し、電子は通常、この状態に落ち着こうとします。
電子が定常波として安定して存在できる特定のエネルギー準位があるため、電子はエネルギーを失って原子核にどんどん近づいていくことができません。まるで、階段の踊り場にしか立てないように、電子は特定のエネルギーの「踊り場」にしかいることができず、その間を滑り落ちるように原子核に衝突する、ということが起こらないのです。
まとめ
このように、電子が粒子であると同時に波としても振る舞うという波動と粒子の二重性、そしてそれが生み出す「定常波」と「エネルギー準位」の概念こそが、原子が安定して存在し、物質が形を保つことができる根本的な理由なのです。私たちの体が崩壊しないのも、身の回りのものが安定しているのも、この量子力学の不思議な性質のおかげと言えます。波動と粒子の二重性は、単なる理論的な面白さだけでなく、私たちの存在そのものを支える重要な性質なのです。